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内田百閒『阿房列車』『立腹帖』 [書]

2011年の読書記録の最後に内田百閒を読み出したと書いていましたが、ちと紹介してみようかと。



内田百閒■.jpg
内田百閒■阿房列車 立腹帖.JPG
まずは内田百閒とはどんな人か。Wikipediaを参考にして、簡単に紹介すると、

【内田百閒・年表】
1889年(明治22年) 5月29日岡山古京町の裕福な造り酒屋の一人息子として生まれる
1905年(明治38年) 16歳 父・久吉が死亡、経済的に困窮
1911年(明治44年) 22歳 夏目漱石の門弟となる
1912年(大正元年) 23歳 中学時代の親友の妹堀野清子と結婚
1914年(大正03年) 25歳 東京帝国大学独文科卒業 この頃芥川龍之介と親交深める
1916年(大正05年) 27歳 陸軍士官学校ドイツ語教授に任官
1918年(大正07年) 29歳 海軍機関学校ドイツ語兼務教官嘱託
1920年(大正09年) 31歳 法政 大学教授就任
1922年(大正11年) 33歳 処女作品集『冥途』刊行
1923年(大正12年) 34歳 陸軍砲工学校附陸軍教授
                  関東大震災罹災 
                  機関学校崩壊焼失の為嘱託教官解任
1925年(大正15年) 36歳 陸軍砲工学校教授辞任
                  家族と別居
1927年(昭和02年) 38歳 陸軍砲工学校教授依願免官
1929年(昭和04年) 40歳 法政大学航空研究会会長就任
                  佐藤こひと同居
1933年(昭和08年) 44歳 随筆集『百鬼園随筆』刊行 ベストセラーに
                  法政大学騒動を機に法政大学教授辞職
                  文筆業に専念
1936年(昭和11年) 47歳 長男久吉死去(24歳)
1939年(昭和14年) 50歳 日本郵船嘱託(~1945年迄)
                  台湾旅行
1945年(昭和20年) 56歳 東京大空襲により居宅焼失
                  隣接する男爵家の掘っ立て小屋に移住
1948年(昭和23年) 59歳 三畳間が3つ並んだ新居「三畳御殿」完成
1950年(昭和25年) 61歳 大阪へ一泊旅行これをもとに小説『特別阿房列車』執筆
                  (~1955年迄続く代表作に)
1952年(昭和27年) 63歳 鉄道開業80周年記念に東京駅一日駅長就任
1957年(昭和32年) 68歳 愛猫のノラ失踪。随筆執筆
1959年(昭和34年) 70歳 小説新潮『百鬼園随筆』連載開始(死の前年迄)
1964年(昭和39年) 75歳 妻清子死去(72歳)翌年佐藤こひ入籍
1970年(昭和45年) 81歳 絶筆「猫が口を利いた」発表
1971年(昭和46年) 4月20日81歳老衰により死去

本名は榮造。祖母に溺愛され育ったためか、非常に頑固偏屈且つ我儘で無愛想な人物。自覚あり。夏目漱石、琴、酒、煙草、小鳥、鉄道、猫、郷里の「大手まんじゅう」を愛す。夏目漱石の門下として、夏目漱石全集の編纂にも携わる。正月に必ず流れる「春の海」の作曲者宮城道雄にも師事し、その後親友のように付き合う。他、汽車を「目に入れて走らせても痛くない」というほど愛して、ただひたすら好きな汽車に乗るだけの旅行を実行し『阿房列車』シリーズを執筆。晩年の飼い猫ノラとクルツを愛し、『ノラや』『クルやお前もか』執筆

まだ集成集を読んでいる途中なんですが、あまりにも楽しい『阿房列車』を読み、紹介したくなった次第。
63歳の時鉄道開業80周年記念に東京駅一日駅長に就任するんですが、その時の話が大変可愛らしい。その時の話はちくま文庫百閒集成2の『立腹帖』の中の「時は変改す」の中で記されています。阿房列車のお供、“ヒマラヤ山系”事、国鉄職員平山三郎氏の上司“見送亭夢袋”事中村武志氏より一日駅長の話があった時、

国有鉄道の中村君から、お願いの筋があって伺いたいと云う打ち合わせはあった。 (中略) 中村さんの外にお二人、つまり三人だから、腰掛けが足りないから、お勝手のを一つ出しておいたと云った。 さて、威容をととのえて、面接に出ようと思う。 私は朝から晩まで腹を立てているわけではないが、だれかが来たと云うと、途端に気分が重くなる。 (中略) どうせ何か云って来たのだから、それに違いないから、何は兎もあれ、ことわってしまえと云う事をまず考える。 えらそうな顔をして玄関に出て見たら、中村君の外に、二人、その内の一人は恐ろしく大きな紳士で、細長い半間ばかりの土間の余地に、警察署である様な小さな木の腰掛けを列べ(※ならべ)、三人目白押しになって、仲良く肩摩しながら、御順にお詰めを願っている。 中村君が紹介を兼ねて挨拶した。 何です、と私は苦り切って威勢をつける為に煙草を手に取ったら、未見の二君は東京鉄道管理局の者だと云う。おかしいなと思いかけた私に向かって 「実は鉄道八十周年でして」 それは私はよく知っている。お目出度い行事だと思っているから、切り出されても腹は立たない。 「式は十月十四日ですが、幾日も続けてお祝いを致しますので、十五日に一日だけ東京駅の駅長になって戴けませんでしょうか」 何でもかでもことわってしまえと云う気持ちが、どこかへずれて、一日だけなんて、随分遠慮したものだと思い出した。 私が大きな声をして笑い出したので、面接に出る前に引き締めた顔の筋なぞ、ずたずたに切れてしまった。 (中略) もう承知しましたとか、引き受けるとか、そんな返事は必要でなくなった。当日は制服制帽を著けて(※つけて)くれと云う。もともと私は詰め襟は好きである。黒の詰め襟にフロックコートの縫い釦をつけて、山高帽子をかぶって歩いたら、芥川龍之介君が、こわいよと云って心配した。今度の駅長の制服だから、金や赤がついて派手だろう。尤も私が著ればその方が却って無気味かもしない。こちらから進んで帽子のサイズと身長を教えた。後で当日の予定やその前の準備の心づもりを印刷した紙をくれたのを見ると、帽子のサイズその他は先方からこちらへ伺って置く可き項目の中に這入っている。つまり私が突然よろこんで、興奮し、先走ったと云う事を自認した。少しく落ちつかなければいけない。(後略) 【引用:ちくま文庫内田百閒集成2 『立腹帖』「時は変改す」より】

大喜びの様子がありありと記されてますねぇ。その時の写真がこれ。

内田百閒■東京駅一日駅長.jpg


中々ふてぶてしい顔の写真ですが、嬉しいんでしょうねぇ。当日朝が早いので起きれないと言って色々交渉した様子ですが、結局前日よりステーションホテルに泊まりこむ予定になっていたのが、体の加減が悪くなり、泊り込むことはなしに。百閒先生、持病に発作性心臓収縮異常疾速症というのを持っていたらしく、命にかかわることはなかった様子ですが、動悸持ちだった。少し前より調子は良くなかったので、主治医の先生に当日は来てもらう事に。でもね、この後加減が悪いのにとんでもない計画を画するんですよ。この稿の第三章に

第三列車「はと」は、私の一番好きな汽車である。不思議な御縁で名誉駅長を拝命し、そのみずみずしい発車を私が相図する事になった。汽車好きの私としては、誠に本懐の至りであるが、そうして初めに、一寸微かに動き、見る見る速くなって、あのいきな編成の最後の展望車が、歩廊の縁をすっ、すっと辷る様に遠のいて行くのを、歩廊の端に爪先を揃えて、便便と見送っていられるものだろうか。 名誉駅長であろうと、八十周年であろうと、そんな、みじめな思いをする事を私は好まない。 発車の瞬間に、展望車のデッキに乗り込んで、行ってしまおう、と決心した。 動き出した列車に乗ってはいけない。いけないと云われる迄もなく、私なぞが下手な真似をすれば、あぶない。しかしあぶないのは列車の中腹であって、展望車は最後部についているから、その後部のデッキにつかまるなら、大した事はない。しくじって辷ってころんでも笑われる位の事ですむだろう。あぶないことはしてはいけないし、するつもりもないが、まだ発車しない前から事が洩れては困る。だからその大切な瞬間を捕らえなければならない。(後略) 【引用:ちくま文庫内田百閒集成2 『立腹帖』「時は変改す」より】

お茶目な計画ですが、鉄道八十周年記念の名誉駅長ですよ。63歳ですよ。加減が悪いんじゃなかったの?っと聞きたい程の計画です。で、乗り込んで、夕方の催しに間に合うように、熱海迄行く計画を立てるんですが、心臓の加減が悪いので主治医の先生迄、先に乗り込ませる計画もたてます。当日列車を見たら、展望車の窓が大きく、主治医の博士が乗り込んでいるとバレる。なので、阿房列車の従者ヒマラヤ山系君(国鉄職員)にお願いして、みつからないように博士を先に乗り込ませておく。それも博士は切符にパンチを受けて乗車させておくところがなんとも生真面目でおかし味がある。合図の時間になり、本物の駅長に聞くと合図は列車の真ん中辺でするという。それでは困ると後部での合図を提案し、了承をもらう。そして、

発車前二分になった。 中島君は私の、私の起った所から離れていると云う程のことはないが、間に人が五六人いる。相図をして傍へ来て貰った。 「中島さん、僕はこの汽車が大好きなのです。今もう直ぐ動き出すでしょう。動いて行ってしまうのを見ているのは私はいやだから」 辺りががやがやして、後ろの方から人を押しのけて前に出てくる者があったりして、私の云う事がよく聞き取れないらしい。 「僕は便便としてこの列車の発車を見ているのはいやだから、乗って行きますよ」 (中略) 発車のベルはもう鳴っている。 わいわい云っている人人の声を後にして、私は展望車のデッキに上がった。発車にはまだ二三十秒ある。しかし動き出した列車に、ひらりと乗る様な芸当はよした方がいいだろうと思って居直り、発車寸前に乗車したのである。 (後略) 【引用:ちくま文庫内田百閒集成2 『立腹帖』「時は変改す」より】


あーあ、乗ってしまいました。名誉駅長。で、熱海まで行ったそうです。ふてぶてしいのに、なんとも愛嬌のあるおじさんだったのがわかるエピソードです。現在こんな事をすると大問題になっただろうけれど、時代というものが感じられる話です。そうそう、この『阿房列車』、漫画も出ております。

内田百閒■阿房列車 1号●IKKI COMIX.jpg


帰り道にあるジュンク堂にネット予約し、購入。現在まだ1号しか持っていませんが、2号も届いたと連絡がありました。3号か4号迄出ている様なので買わないといけませんな。1号、読みました。絵、ほのぼのとし、百閒先生、ヒマラヤ山系、両者共なんとも言えない雰囲気を醸し出していました。中身は原作に忠実な内容でした。これ、箱入りでした。中身も可愛いですよ。

内田百閒■阿房列車 1号●IKKI COMIX-2.jpg

汽車の絵が可愛い。

現在百閒先生のはまだ、随筆しか読んでいないのですが、中々不思議な続後感があると言われている小説にも挑戦です。ファンは分かれるらしいですね、小説ファンと随筆ファン。



阿房列車―内田百けん集成〈1〉   ちくま文庫

阿房列車―内田百けん集成〈1〉 ちくま文庫

  • 作者: 内田 百けん
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2002/10
  • メディア: 文庫




立腹帖―内田百けん集成〈2〉 (ちくま文庫)

立腹帖―内田百けん集成〈2〉 (ちくま文庫)

  • 作者: 内田 百けん
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2002/11
  • メディア: 文庫




阿房列車 1号 (IKKI COMIX)

阿房列車 1号 (IKKI COMIX)

  • 作者: 内田 百けん
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2009/02/24
  • メディア: コミック




阿房列車 2号 (IKKI COMIX)

阿房列車 2号 (IKKI COMIX)

  • 作者: 内田 百〓@6BE1@
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2010/02/23
  • メディア: 単行本




阿房列車 3号 (IKKI COMIX)

阿房列車 3号 (IKKI COMIX)

  • 作者: 内田 百〓
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2010/12/22
  • メディア: 単行本



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